立ち止まって振り返る

明日のための振り返り帳

近況(6/1)とリーングラード感想

 先週は2科目中間試験があった。自分が通っているのは6年制の学部なので同年代の友人達とは少し違って4年生になってもいまだに必修科目が目白押しで週4で1限もあったりする。

話は逸れたがテストがあった、そして今週末にもまた一つテストがある。最近テスト勉強をしていて思うのは積み重ねてきたここまでの3年間についてだ。

4年次の科目ともなるとそれまでの科目の発展した部分を学ぶことになる、これがなかなかに面白いもので動態を学ぶ中で有機的な知識が役に立ったりするわけなのだ。

これまでの勉強の姿勢はお世辞にも褒められたものではないが、それでも知識の集積を少しずつ実感する日々である。同時にまだまだ実力不足の感も否めないので少しずつでも背信行為(勉強を意味する友人の言い回し)をしていきたい。

 

 

 話は変わってリーングラードの学び舎よりを読んだ。

ncode.syosetu.com

 

pdfで5700ページあったので文庫本で10冊強くらい?であろうか1ヶ月ほどかかってしまったが大変面白かった。

友人に勧められて読み始めたが出だしで少しつまずいた。主人公の言動に何とも言えない違和感を感じたのがその原因なわけだが、Webノベルにしてはしっかりした文章に対して明らかに破綻したキャラクターというのがその違和感の原因であり、読み終わった今となってはまんまと作者の誘導に引っかかっていたわけである(ネタバレになるので詳しくは略)。

思えば最近は楽な文章ばかり読んでいた気もする。あくまでも主観だがなろうなどで人気がでる作品の風潮として主人公に関する多くの情報(生まれや考え方など)を物語の冒頭で読者と共有する作品が多いように思う。

こういった作品は読者と主人公が共感する下地を作りやすいので大変読みやすいのであるが、読む側が楽すぎるために活字を読む力が衰えるように思う。

いかせん楽な方に流されすぎていたためにリーングラードのような章を重ねるごとにエピソードを明かし、人物に厚みを持たせていくような作品を読むことに大変労力を必要としてしまった。

また京極先生の作品でも読んで物語を読む力を付けねばならないように思う。